FORUM 世界がうらやむ天然の資源を活かそう!


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 日本には、一年の間に、男子の平均身長ほどの雨が降り(平均降水量1700ミリ)、ベルトのあたりまでの量が大地をながれる(平均流出量1070ミリ)。そのうち、だいたい膝の高さまでの水を利用している(平均取水量300ミリ)。
 降水量だけを見ると、熱帯には2000ミリ降るところもあるが、熱帯では、日光が強く、降った雨が蒸発する。その結果、流れ出てくる量が少なくなってしまう。そして、せっかく河川となって流れる水も、利用する術がなくては、海へとまっすぐ帰っていってしまう。世界の平均は、降水量約850ミリ、流出量約250ミリ、取水量約50ミリである。日本は、それぞれ約2倍(インドネシア、フィリピンに次ぐ世界第3位)、4倍(ブラジルに次ぐ世界第2位)、6倍(世界第1位)となっている。このうち日本の取水量が世界一なのは水田に追うところが大きい。しかし、人口一人当たりの平均降水量となると、世界平均の6分の1にすぎない。
 ヨーロッパでは、冬に雨が集中する。年間平均降水量は、400〜500ミリであり、生活に利用する水は、アルプスの雪解け水がたよりである。植物の生育する7、8月には、降水量がゼロに近くなる。
 アメリカのロサンゼルスの年間降水量も、400〜500ミリである。ロッキー山脈の雪解け水にたより、ダムをつくって水を引き、年中スプリンクラーで水を撒かなければ植物は育たない。
 日本は、地理的に、水に恵まれていることは確かである。しかし、日本の国土は、高い山が多く、平地が少ない。せっかく降る雨も一度に降る量が多すぎて、たびたび災害に見舞われる。日本に治水工事の指導で来日したオランダの技師デレーケは、立山に発する常願寺川を見て、「これは滝だ」と叫んだという。これでは、多すぎる水が悪条件となってしまう。その水を、人間にとって有益なものに転化するうえで、重要な役割を果たしてきたのが、森林と水田である。
 現在、日本の河川の下流地域が比較的安定しているのは、江戸時代に日本中で行なわれた治水事業によるところが大きい。現在のダムや護岸工事は、その基礎のうえに断っているといえよう。江戸時代の治水事業は、水路の建設といった実際の土木工事の面でもたいへん優秀なものであった。だが、一番優れていた面は、「治水は治山にあり」という発想である。
 水の乏しい村の上流に、何百万本もの木を植え、川の流れをつくり、用水路を引く。あるいは、川の流れの安定しない村も、上流の山を手入れし、傾斜地に水田(1)(2)をつくり、水の調整をする。こうした治水事業は森林の持つ保水力をよく知り、高低差のある日本独特の地形、風土をじっくり研究して得た結論といえよう。
 南欧を旅すると、禿山や半砂漠みたいな光景によく出会う。特にスペインがひどい。しかしまた同時に、よく見ると斜面や川岸には鬱蒼と木が生い茂っているのに気づく。これは、この地もかつては肥沃な森林地帯であったことを物語っている。そしてこの地域には、直次親子や熊沢蕃山のような人は存在せず、逆の人たちのみがいたことを教えている。つまり、日本の先人たちはそれだけ後世代のことにも思いをめぐらし、考えていてくれたのであり、感謝せずにはいられない。立派な先人を多く持ったことは幸せであった。そしていまスペインは、CAP (共通農業政策)改革に合わせて100万ヘクタールの大植林計画を実行に移そうとしている。荒れ果てた大地に緑を復活させようとしているのだ。
 ひるがえって、いまの日本を考えると、暗澹たる気持ちにならざるをえない。なぜなら、私たちはいま、昔の南欧の人々と同じふるまいをしているように思えてならないからだ。
 日本の水は、地理的に恵まれていたこともあったが、それ以上に、人の知恵によって生かされてきたものだったのである。ところが、水道、コンクリートによる土木工事の出現によって、水との関わり方は一変してしまった。
 都市の地表面や水路は、コンクリートで固められ、都市に降る雨は、大地に浸み込むことなく、海へと直行してしまう。そこに暮らす住民や企業、工場が使う水は、川の上流の山々や水田を流れ、ダムに集められた水なのである。下流の都市は、便利でスマートな生活を追求するばかりで、都市に降る雨と、上流の水、両方を無駄使いしているのである。
 さすがに、都市に降る雨の無駄には多くの人が気づきはじめた。なんとかその無駄を解消するために、東京ドームなどには、屋根に降る雨水を貯めて、トイレなどに使用する設備がある。今後は、都市全体で、こうしたリサイクル設備の研究に力を注ぐべきであろう。
 西日本を中心とした、昨今の深刻な水不足は、天候異変が原因かと思われている。だが、下流の都市が、上流の水の供給量を上回って消費するほど肥大化しすぎていることが、もっと大きな原因であろう。
 便利さを求めて、人々は上流から下流へとさらに移動する。上流の山村は過疎化し、山を守る人々がいなくなる。土砂崩れや都市の地下水の枯渇といった災害も増える。都市の巨大化に歯止めをかけ、地方分散しなければ、いかに恵まれた水といえども、供給不能の状態になっていくだろう。そして都市の無駄使いのために、新しいダムを建設し、村が水没するというパターンは、もう終りにしたいものだ。
 洪水を防ぐという理由で川岸をコンクリート張りにすることも、考え直すときであろう。水と土との接点をなくせば、水の質は、まったく変わってしまう。土の中の微生物の働きがなくなり、水の持つ浄化作用は著しく低下する。水もまた、自然の中で生きており、水が生きているからこそ、他の生命を生かすこともできるのである。
 洪水防止のために、日本の急流の特徴を考えた方策がある。武田信玄の築いた信玄堤である。信玄は、「自然をもって自然を制す」という考えのもと、本流のほかに、巧妙な遊水路を設けた堤により、川を治めたのであった。今後、必要とされるのは、こうした、日本の風土に根差した水の扱い方であろう。
 戦後、古くさいものとして捨て去られた、数々の知恵こそ、最もリサイクルすべき、つまり、再び利用すべき資源といえるかもしれない。  
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江戸時代の治水事業

 富山和子(立正大学教授)は、『水の文化史』(文藝春秋)のなかで、こうした江戸時代の偉業を紹介している。森林のないのが特徴であるかのような阿蘇外輪山の斜面に、いまも鬱蒼と繁る樹齢180年の杉や檜の国有林があるという。江戸時代、水の乏しかった七滝村の支配役、光永直次の指導により、村人総出で、上流の山に毎年数万本ずつ木を植えたのである。文化12年(1815年)から弘化4年(1847年)までの32年間に240万本が植えられた。さらに、直次の子直治が、慶応3年(1867年)まで事業を引き継いだという。半世紀の後、枯れた川に水が流れ、さらに用水を引くことになる。現在も用地は水源涵養林となっているのである。
日本には、こうした話が、全国各地にある。大西吾一の著書『日本老農伝』(農文協)のなかには、実に、約1000人もの光永直次親子が行ったような業績が記されている。
 先年、『木を植えた男』(ジャン・ジオノ、あすなろ書房)という本がロングセラーとなった。第一次大戦前後の話である。廃虚のようになっていたフランス、プロバンスのある地域に、一人の男がいた。男は、人知れず、荒れた山地に一人で何万本もの木を植え続けた。その山はやがて、林となり森となり、水が流れ始める。小動物が戻り、人々も住み始めるというものである。人知れず、一人で木を植えるというところが、たいへん感動的である。現在も豊かに繁って水をたたえる森林を見ると、敬虔な思いにとらわれてくる。
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