Hanawa Essay
Last updated, April 30

ある「戦死」

 大平宗


 春の夜風にヒラヒラと舞う桜の花。満開の時期ともなると、花吹雪が舞い、日本人は それが見たさに春を待ち望む(ポトマック河畔の桜並木に集うアメリカ市民も多分、同 じ気持ちなのだろう)。
 しかし今年、東京の桜は四月半ばの無情な雨で見事に散った。そしてその朝、一人の 経済記者が三十年余の人生に終止符を打った。何の兆候もなく、突然の死に見舞われた のである。
 政治記者や事件記者が花形といわれた報道機関で経済記者が脚光を浴びるようになっ たのは、1973年の第一次石油危機以降のことだ。それまでは、新聞の経済面も株価 欄を合わせてせいぜい一頁。新日鉄などの大合併報道が紙面を賑わせたこともあるが、 「カイシャの中ではマイナー扱いだったんだ。隔世の感あり、だよ」  以前、ベテランの経済記者がしみじみと述懐したことがあった。 今、経済部は、地方勤務を経て東京などの本社勤務になる若手記者にとって、憧れの 職場になっている。一面トップを飾る記事といえば、かつては政局か事件物と相場が決 まっていた。だが、今や合併や倒産、マル公(公定歩合)などの経済ニュースで売れ行 きが変わってくるというのだから、まさに「隔世の感あり」だ。  
多忙を極める経済記者の中でも最も忙しい担当は、金融担当と大蔵省担当だ。抜いて 当たり前、抜かれたら「総入れ替え(キャップ以下担当記者が全て更迭されること)を 覚悟しろ」とまで言われている。とりわけ、昨今の金融担当の激務は想像を絶するものがある。
最近のニュースをざっ と拾っても、94年暮れの東京協和・安全両信用組合の経営破綻を皮切りに、三菱銀行 ・東京銀行の合併、コスモ信用組合、兵庫銀行、木津信用組合などの経営破綻、大和銀 行の巨額損失事件、そして横文字の世界でも「ジューセン」で通用する住宅金融専門会 社(住専)問題等々、金融システム不安をめぐる一面トップ級の記事に事欠かない毎日 だ。
 特ダネを追っているだけなら大して苦労はない。10抜かれても3つ抜き返せばいい のだから。だが、金融担当は日々、マーケット取材という大量のルーチンワークもこな さなければならない。「これだけ忙しいのだからいずれ戦死者が出るだろう」と言われ るようになって久しい。
 たまりかねた某社では、朝駆け(取材先の自宅に押しかけること)、マーケット番( 相場・市況を担当)、日中の取材活動、そして夜回り(朝駆けの夜版)と、“一人四役 ”をこなす最悪の職場環境の改善に乗り出した。マーケット番は夜回りから外すなど、 記者にかかる負荷を軽減するためのルールを作った。  
桜とともに散ったA君も、こうした過酷な職場にいた。いくつかの地方支社局を経て 、94年春に東京の本社に配属されたA君は、以前から金融担当を希望していたそうで 、早速、その願いが叶ったのである。当然のことながらA君は張り切った。「記者冥利に尽きる」と思ったのだろう。早朝 家を出て、深夜に帰宅。妻子が寝静まったあともワープロを叩く毎日だったという。ま さに獅子奮迅の活躍だった。
A君は今年の正月、地方で一緒だった先輩に宛てた年賀状に「死ぬ気になって頑張り ます」と添え書きした。なぜ「死ぬ気」になったのか。  上司に言われた訳ではない。勿論、誰かが強制した訳でもない。人は一生の一時期、 あとで振り返って「どうしてあんなに頑張れたのだろう」と思うときがあるらしい。A 君にとっては散り際の二年間がまさにそうだったのだろう。  ある夜、和やかな酒席でA君は、傍らの先輩記者に問いかけた。「ねえ、特ダネの取 り方教えて下さいよ」と。酔いが回っているはずなのに、彼の眼は真剣で、しかも輝い ていたという。取材活動や執筆作業から離れている間も、彼の頭の中を支配していたの は仕事のことだけだった。
その朝、彼は突然の呼吸困難に見舞われ、救急車で病院に運び込まれたときは息絶え ていた。だから、時世の句もなければ、最後のひと言もない。ひょっとしたら彼は、自 身の寿命が尽きたことを未だに知らずにいるのではないのだろうか。  
A君とは時事通信社経済2部の堺祐介君である。4月1日に金融担当のサブキャップ に昇格したばかりだった。享年33歳。記者仲間は彼の死を「戦死」と受け止めている 。ひと事ではないから、通夜と告別式には1000人を超える報道関係者らが参列した。 今、仲間たちの間で、1歳になったばかりの遺児のための基金をつくる構想が持ち上が っているという。

《筆者経歴》 大平 宗(おおひら・しゅう)。1952年生まれ。75年慶応義塾大法学部法律学 科卒。77年慶応義塾大法学部政治学科卒、時事通信社入社。95年時事通信社を退職 。43歳。主な著書に、「銀行サバイバル」(84年)、「金融革命最前線」(同・共 著)、「私の生活大国」(93年・共著)などがある。 E-mail(ニフティ) : GCE00612@niftyserve.or.jp

 


Return to the Home Page